複雑な生態系の中で生きる生物のコントロールは不可能
一般的に、タヒボが自生するアマゾン川流域の熱帯雨林は地域ごとに自然条件が違い、長い年月をかけてそれぞれに複雑な生態系が作り上げられてきます。
熱帯雨林の骨格となる樹木を始め、そこに生息する動物、昆虫、目に見えない菌類は、温帯林と比べると、圧倒的に多種多様で、共生関係を持ちながら複雑な生態系の中で生きています。
現在でも熱帯生物の生態、生理的特徴を理解し、タヒボも含め人工的にある特定の生物を、自生地とは別の環境に適応させ、増やしたり減らしたりコントロールすることは非常に難しいということを、歴史は証明しました。
ヘンリー・フォードの人工林
自動車産業で巨大な富を築いたヘンリーフォードは1920年代、自動車用タイヤを製造するためアマゾン川の支流タパチョス川沿いに広大な土地を購入し、熱帯雨林を切り開き、ゴム農園・ゴム製造コンビナート・従業員用の住宅を合わせ持つ大規模な人工都市「フォードランディア」を造成。
フォードはゴム製造を自動車製造と同じ流れ作業で簡単に行えるものと考え、農業の関係者を現地に送ることはありませんでした。
農園には生態系を無視し200本もの樹木を植樹し、(タヒボ程ではありませんが、アマゾン原産のゴムの樹も自然界であれば4000平方メートルに7本程度と自生する数は少ない)大量の樹液を採取しようと試みますが、元々地形がゴムの生育には向かなかったことに加え、密生させたためにゴム特有の病気が瞬く間に伝染してしまい全滅してしまい、3年間の挑戦の結果、一本の木も育てることなく終わります。
後に、同じ川の下流に移動し再びゴムのプランテーションを試みますが、その時には合成ゴムが開発されており、この天然ゴム製造の人口都市は存在意味を失うこととなり、結局この人口都市は廃虚となります。
それ以降、この地で工業用ゴムが製造されることはなく、結果フォードは20年間で2000万ドル(現在の貨幣価値で2億ドル)を失うこととなります。
第二の植林ブーム
フォードの失敗の後、1970年代になると製鉄業、パルプ産業が、鉄鉱石の採掘、大規模な農地、放牧地など、スケールメリットを求める産業振興策の一貫として、人工林作りに乗り出します。世界一の埋蔵量を誇るカラジャス鉄鉱山の開発に伴って建設される製鉄工場と連動した、木炭用の人工林プロジェクトとパルププラントを日本で作り、巨大な艀でアマゾン川に運び込んで話題になった「ジャリプロジェクト」が有名です。
当初ユーカリの他に中南米カリブを原産とするカリビアマツとインド原産のグメリナ・アルポレアを植林するという計画でした。カリビアマツは古くから植林実績があったのですが、グメリナは全く未知の樹種でした。
南部地域で成長テストが行われ、その結果、植林後5年経過した樹木の高さが20メートルを越えるという好成績が出ます。それが導入の決め手になったのですが、いざ植林を始めると予想外に成長が悪く、これに追い打ちをかけるように病害虫が発生し、遠大な構想から始まった植林事業は当初から壁に突き当たってしまいます。
ユーカリもカンクロという幹の先端を枯らす病気にかかったり、大型のアマゾンネズミに根をかじられるという被害にあっています。
人工林は植えてから育て伐採するまで全て人間の力が関わるため、大量の労働量を必要とします。 熱帯雨林で大量の労働力を確保するためには居住設備とともに、住宅と植林地、植林地と工場を結ぶ道路を整備し、労働力を定住させなければならなく、食料を確保するための農業も必要になってきます。しかも病害虫のダメージは大きく、熱帯雨林地域で人工林を作ることは、熱帯の植生を破壊するだけでなく、温帯で人工林を作る時の常識では理解不可能な難問が次々と起こり大きなビジネス上のリスクを負うことになります。
遺伝子資源の宝庫である熱帯雨林の生態系を犠牲にして単純な生態系の人工林に転換させることへの批判に加えて、熱帯雨林は高温多雨という面で多くの樹木にとって成長にプラスと思われたのですが、植林した樹木の生長が悪いため、アマゾンでの人工林作りに対しては否定的な意見が圧倒的多数です。
これら様々な理由により現時点でのタヒボの人工栽培は不可能であると考えられます。
原料を取り巻く環境について